鹿児島名城めぐり2018年02月03日 20:50

鹿児島名城めぐり



1月28日~30日に鹿児島・熊本に出掛けた。今回霧島温泉2泊3日のレンタカー付きとういう格安旅行があり、出発日の飛行機のみオプションで朝一便に変更して利用した。本来は初日に人吉・熊本の予定だったが鹿児島の歴史資料館が月曜休みのため変更して鹿児島城からスタートした。



鹿児島城






(御楼門跡)


現在御楼門復元工事であたり一面が工事現場となっておりお城という感じではなかった。元々中世の居館程度で城郭といった規模ではなかったらしい。周囲の支城で防御した外城制や、関ヶ原で西軍に付いたため幕府に遠慮したとか、朝鮮出兵などで出費がかさみ費用がなかったなど諸説はあるようだ。





(御楼門から見た石垣)



慶長6年(1601年)頃、城山東麓に島津家久が築城した平城で本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけの簡素な城と解説されている。御楼門と御角櫓を備えたが天守はなかったとされる。






(薩摩義士碑側)


現在本丸跡に歴史資料センター黎明館、二の丸跡には県立図書館が建っている。 黎明館を見学後、周囲を散策して西郷隆盛洞窟へと徒歩で向かった。


熊本名城めぐり12018年02月10日 15:47


熊本名城めぐり1


1月29日朝一番で霧島温泉を出発、人吉に向かうがナビはえびの方面を指示するが途中で降雪のためチェーン規制の標識が出ておりターンして国分方面へ出て九州道経由で人吉城に到着した。


人吉城



人吉城は鎌倉時代のはじめ、源頼朝の命を受け、人吉庄の地頭として着任した遠江国相良庄を出身とする相良長頼にり修築されたとされ、山城としての本格的な築城は、文明2年(1470年)頃、十二代当主相良為続の時される。





(歴史館から見た人吉城)


秀吉の九州統一後の天正17年(1589年)、二十代当主長毎が豊後の石工を招き石垣造りの城として改修、慶長6年(1601年)には本丸・二の丸・堀・櫓・御門まで完成し、慶長12年(1607年)から球磨川沿いの石垣を築き外曲輪が造られた。寛永16年(1639年)に石垣工事は中止されるがこの時に近代人吉城がほとんど完成したとされている。





(水の手門)


相良氏は天正15年(1587年)の秀吉の九州征伐に敗れ、降伏し球磨郡のみの支配を許された。関ヶ原の戦いで重臣相良清兵衛の機転により西軍から一転し徳川方についた。家康が天下をおさめたため幕末まで相良家が統治した。





(本丸跡)


本丸ははじめ高御城と呼ばれ、天守台に相当したが天守は建てられず、護摩堂が建てられ、先祖堂や時を知らせる太鼓堂、山伏番所が設置された。隣の二の丸に御本丸と呼ばれ城主の居館が建てられた。球磨川を水運に利用した船着場が7箇所設けられ最大なものが水の手門で年貢米などの出し入れに利用され、幕末には石垣の上部に西洋式のはね出し石垣(武者返し)が採用された。清兵衛屋敷で井戸のある地下室が発堀されるなど歩いて回ると意外と見ごたえのある城だった。


熊本名城めぐり22018年02月10日 17:13


熊本名城めぐり2


人吉城から熊本城へ移動した。今回立ち寄るかどうか迷ったが震災の被害も見ておくべきと思い直し訪れた。


熊本城


熊本城は高校時代の修学旅行をはじめ、大学の友人を訪ねたり、営業時代に九州担当を20年以上した関係で度々足を運んだ覚えがあり思い入れのある城の一つである。






(末申櫓)



城彩苑から仮設の歩道を通って末申櫓が見えて無事と思ったが、少し進むと元太鼓櫓方向の石垣が崩れ塀が崩壊していた。最近出来た二の丸休憩所の屋根も損壊したままで震災の規模が伺えた。






(元太鼓櫓と西大手櫓門)


二の丸休憩所を過ぎて視界が開けた途端正面の元太鼓櫓と西大手櫓門を見て唖然とした。完全に倒壊していた。パンフでは損壊とされているが見た目てきには倒壊だった。西側の石垣や土塀に大きく被害がでていた。






(西側から見た大天守と小天守)


大天守は足場が覆い復旧工事は始まっていた。近くには入れないため詳しくは判らないが倒壊防止作業と復旧作業が行われているものと思われた。





(戌亥櫓)


報道でよく写っていた戌亥櫓もかろうじて残っているが石垣が崩れたら落ちてしまいそうな感じで危なかしい状態だった。加藤神社までは入れるがその先は立ち入り禁止のため城の東側を廻った。






(行幸橋から見た馬具櫓)



市役所前から長堀沿いに行幸橋にでた。馬具櫓の石垣も崩れおり嘗ての重厚な面影も崩れていた。約400年前加藤清正が築城し、西南戦争で多くが焼失するも難攻不落を誇った熊本城も自然災害には勝てなかったようだ。これから長い年月を掛けて復旧されるだろうがその姿を見ることがあるのだろうかと思いつつ熊本城をあとにした。

鹿児島の旅12018年02月11日 15:56


鹿児島の旅1


鹿児島城を見学後、鹿児島観光に出掛けた。生憎の小雨まじりの天気で桜島も雲と霧で見ることができなかった。天気が良ければ名所・旧跡を回ることも可能だが興味のあったところを優先した。


西郷隆盛洞窟





(西郷隆盛洞窟)



鹿児島城から歩いていけるとのことで散策がてらに洞窟に向かった。西南戦争において転戦の果てにかろうじて故郷の城山に戻ってきたが次第に官軍に幾重にも包囲され、官軍の砲撃が激しくなり、本陣を岩崎谷の洞窟に移した。明治10年9月19日~24日未明まで起居したとされる。24日未明洞窟を出て谷を下って行くが谷の入口付近で腰に銃弾を受け動けなくなり「晋どん、晋どん、もうここでよか」と別府晋介に介錯を頼み自決したとされる。





(西郷どん 大河ドラマ館)


奥方の希望もあり1月13日からオープンした大河ドラマ館に立ち寄った。真田幸村、井伊直虎に続き3箇所目となった。ドラマのセット、出演者やその衣装などが展示されている。西郷どんよりはドラマの制作が中心であった。






(御前相撲の衣装展示)


ドラマがある程度進んでから見るほうがよくわかるとは思うが人気が出て知名度上がってからでは観光客が多くなりゆっくり見ることができないことを思えば今の時期の方が良かったかも知れない。館内は空いていたが出口横のお土産コーナーだけは混んでいた。晴れていれば仙巌園
や尚古集成館にも寄りたかったが雨が強くなったので諦めて桜島へと向かった。

鹿児島の旅22018年02月12日 09:35


鹿児島の旅2


大河ドラマ館を出て桜島フェリー乗り場へ走る途中見えた桜島は上の半分以上が霧で隠れて見えなかった。昔、錦江湾越しに見た桜島は素晴らしかった。得意先で商談をすませて車に乗ろうとした時ドカンという轟音がして振り向いたら噴火だった。それから高速に乗るまで火山灰が降り視界が悪い中必死で走ったのを思い出した。


桜島観光



(桜島フェリーから見た桜島)

出航寸前のフェリーにかろうじて乗船した。車は最後尾ですぐに出航した。急いで客室に向かった。昨日、テレビで桜島フェリーのうどんが人気とTVで放映していたので話のタネに食べてみた。



(テレビで評判?のかけうどん)


名物に何とかでそれなりだった。食べ終わった途端に接岸であっと言う間の船旅だった。フェリーを降りて湯之平展望所に向かった。雨がきつくなり視界が悪くなってきた。





(湯之平展望所)


展望所で周囲を見渡すが霧で霞んでおり肉眼で微かにみえる程度であった。天気が良ければ鹿児島市内も綺麗に見えるがこの日はどんよりとした風景だった。





(道の駅での桜島大根の品評会)


道の駅で休憩のため立ち寄ると桜島大根の品評会が行なわれていた。展示即売で進められるが旅の途中ということでご遠慮申し上げた。大根汁とおにぎりがあったようだが完売でその他の催しも雨で早仕舞いだった。お土産コーナーを見てレストランで休憩と思ったが満員だったので諦めて有村溶岩展望所を向かった。




(有村溶岩展望所)


雨足が強くなってきたため3箇所の内近くの展望所だけ見て急いで車に戻った。他の観光客は諦めて車から出ずに立ち去っていく人が殆どだった。午後3時過ぎということもあり霧島温泉へと向かった。