新潟名城めぐり12018年03月24日 10:18


新潟名城めぐり1


3月21日~22日で新潟を訪れた。仕事以外では初めてとなる。朝一番のサンダーバードに乗り、金沢で北陸新幹線に乗り換え10時過ぎに上越妙高に到着、レンタカーで春日山城に向かった。


春日山城


春日山城は戦国の名将・上杉謙信の城として天下にその名をとどろかせたことで知られている。越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で守護所から約1里の位置にあり、関東・信濃・北陸への往来を監視でき守護所と連繋して守っていたと現地のミニガイドに記載されている。(100名城ガイドによると初期の築城時期・築城者とも不明で長尾家の代に現在の規模に大改修されたとある)






(中腹にある謙信像-昭和44年大河ドラマ「天と地と」の際に建立)


春日山城は石垣がなく、自然の地形と土木工事により巡らせた空堀や土塁などによって多くの郭を守っていた。また、天守閣を持たず、周囲の山々に砦を築いて、より大きな城としての機能を持たせていた。





(天守閣趾の石碑)



絵などには描かれている天守閣や石垣は空想とされ実在した形跡はないと言われているが天守台には天守閣趾の石碑があった?。大雨災害で流されたことで通行止めの箇所があったが春日山神社から千貫門、直江屋敷、毘沙門堂、護摩堂、本丸と経由して天守台へと登った。





(天守台下にある大井戸)



幸いにも雨は免れたが強風のなか20分強で天守台にたどり着いた。本丸から眼下に拡がる眺望を楽しみ、大井戸を見て下山した。山城でいつも思うが昔の人の健脚ぶりには感心させれる。重い足取りで駐車場にたどり着き親不知に向かった。

新潟名城めぐり22018年03月31日 11:54



新潟名城めぐり2


3月22日朝一番に新潟市内を出発、途中ファミレスで朝食を取って新発田城に着いた。


新発田城


生憎の小雨まじりの天候だったが駐車場から本末表門に歩いている間に上がっていた。表門でスタンプをもらいアンケートに答えていると係りの人がパンフとは別に百名城のパンフを机から出してもらった。





(公園駐車場からの三階櫓)




新発田城は上杉謙信の重臣新発田重家の館跡を溝口秀勝が築城を開始した。入封から56年後の承應3年(1654年)、3代藩主宣直の時に完成した。





(本丸表門)



三階櫓は事実上天守に相当する櫓だが、幕府や親藩に遠慮して天守とは呼称しなかった。最上層の屋根の棟は丁字型でそれぞれの隅に1匹ずつ、合計3匹の鯱がのる唯一の櫓とされている。表門と二の丸隅櫓が新潟県下唯一の江戸時代から現存する城郭建造物(江戸時代に再建)とされる。




(辰巳櫓)



辰巳櫓は堀部安兵衛の運命を変えたと言われている。辰巳櫓の管理責任者だった安兵衛の父中山弥次衛門が櫓の失火の責任を負って浪人となった。安兵衛は家名再興のため、江戸に出て、高田の馬場の敵討ちよって名を挙げ、赤穂義士に名を連ねる至った。今回の登城で83城となった。

新潟の旅12018年03月31日 13:04

新潟の旅1


社会人になって初めて担当したのが北陸・新潟地区で普段は列車で訪れていたが何度かは車で新潟まで走った。当時は高速は富山まででそれ以北は国道8号線をひたすら走ったのを思い出す。新潟といっても得意先は北蒲原郡中条町にあり片道14時間というロングドライブだった。






親不知(親不知・子知らず)

景色を眺める余裕もなく、走っていたが一度はゆっくりと見てみたいと思っていたのが親不知だった。今回37~8年振り訪れることが出来た。





(親不知の海岸線)



一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている。加賀藩の参勤交代の際には波除の人垣として地元の4~5百名の人間が駆り出されたというが、それにても荒々しい波が打ち寄せていた。










(親不知道の駅のカニ天丼)


親不知を見て道の駅で食事のため立ち寄った。名物のたら汁でホット一息したあとカニ天丼を賞味した。カニ汁のカニは紅がにであまり身はついていなかったが天丼は美味しくいただけた。本日のサービスとはいえ1000円で大変お得でした。(*´∀`*)
息子に頼まれた「きざみ黄金漬・生姜」を求めて新潟市内の味噌蔵経由でホテルへ向かった。


新潟の旅22018年03月31日 13:47

新潟の旅2


新発田城を見学して時間があったので別邸(下屋敷)にある清水園と足軽長屋を訪れた。

清水園・足軽長屋






(大門)
近江八景を取り入れた京風の庭の中央に草書体の「水」の字をえがく大池泉を配した回遊式庭園とされ、四季折々の装いを変え、十万石の大名の屋敷にふさわしく越後路から東北に掛けて他に比を見ない名園と解説されている。





(水の字えがく大池泉)



池の周囲には書院や5ヶ所の茶室が配置され庭園の横には明治中期に酒蔵が移設され、その中は新発田藩史料館、堀部安兵衛伝承館、清水谷蔵所資料館なっていた。





(足軽長屋)



清水園のすぐ横に新発田川が流れ、その川向沿いに足軽長屋(8軒長屋)があった。新発田川は1級河川だが清水園では小川程度の川幅で小橋を渡ると目の前にあり、一番手前の家だけ中を見ることがでる。武家屋敷とはことなり、時代劇でみる長屋そのままだった。新潟駅でレンタカーを返却し、駅で昼食をとり、リムジンバスで新潟空港に向かった。今回は時間的にゆったりとしていたこともあり、夕方早めの便で帰阪した。流石米どころだけあって米が美味しく、食べ物が美味しいと思った。清水園の中のレストランの麸の天丼を食べて見たかった。(´∀`*)