広島名城めぐり22018年12月04日 17:59




三日目の朝、7時30分にホテルをスタート、郡山城に向けて走らせた。途中の道の駅で朝食のつもりだったが開店しておらず、道の駅内にあるコンビニで朝食を求め車内で済ませ、安芸高田市歴史民族博物館へと走った。


郡山城


安芸高田市歴史博物館には9時過ぎに到着した。博物館を見学後郡山城へと向かう。本丸まで徒歩45分となっていた。





(御蔵屋敷)


駐車場から徒歩で毛利一族墓所・毛利元就墓所、百万一心碑などを通り山道を登ると御蔵屋敷跡にでた。そこから二の丸を通って本丸へとたどり着いた。築城の時期は不明とされるが場内にあった満願寺や祇園社(清神社)などは築城以前に建立されており、15世紀後半には毛利氏の城として存在したとされる。






(三の丸跡)


当初は本城と呼ばれた東南の尾根上が城の中心で、元就が台頭した16世紀中頃に郡山全山を城郭化したとされ、本丸を中心として放射状に270以上の郭が築かれたと言われている。





(三の丸南東の石垣)


本丸、二の丸、三の丸などの中心部はかさとよばれ、元就や輝元が住んでいたとされる。中心部の周囲を勢溜の壇、厩の壇、釜屋の壇、姫の丸、釣井の壇、御蔵屋敷などが取り囲んでいた。





(本丸跡)


安芸国の国人領主であった毛利家を一代で西日本最大の戦国大名へとのし上げた毛利元就は三矢の訓え、百万一心など有名な逸話を残し、元亀2年(1571年)に生涯本拠地とした郡山城で75歳でこの世を去った。郡山城を歩いていて、つわものどもが夢の跡の芭蕉の句が脳裏をかすめた。