山口名城めぐり12018年11月26日 16:29



津和野城を見学後、途中の道の駅で遅い昼食を取り、山道を急いでひたすら走り何とか萩城の閉園30分前に滑り込んだ。


萩城


駐車場は二の丸跡の外にあり、内堀からは一方通行のため大回りしなければならず、内堀沿いで下車、息子に車を任せて本丸門の料金所へ急いだ。どうやら4時30分で料金所は締まるが中には入れるようだった。とはいえスタンプは料金所に設置されていたのでギリギリだった。
10分遅れで来た奥方と息子は閉園前なので無料で入れてもらったそうだ。




(本丸門前から見た天守台跡)




関ヶ原の戦いの敗戦で西軍の総大将であった毛利輝元は中国地方の8カ国の領地を削られ、周防、長門の2カ国36万9千余石の領主に移封された。そこで輝元は居城として防府、山口、萩の3か所を候補地として徳川幕府の意向を伺い、萩指月山麓に築城することになった。




(本丸から見た天守台)




慶長9年(1604年)着工、慶長13年(1608年)竣工。これより文久3年(1863年)第13代藩主敬親が藩府を山口に移転するまでの260年間、政治の中心地であった。






(天守台から見た内堀と指月山山麓)



萩城は標高143mの指月山の山麓に本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれた。城郭の構造は指月山麓の平城部分と山頂の山城の部分を合わせた平山城で五層の天守閣を備えていた。二の丸銃眼(鉄砲狭間)土塀などを見て今夜のホテルに向かった。