岩手名城めぐり2018年09月17日 09:46




岩手名城めぐり


9月7日~9日にかけて東北三県の名城めぐりと観光に出掛けた。昨年9月にも東北旅行に出掛けたが城めぐりなし観光ツアーだったため今回は名城が中心。同行が息子で初めてのため途中の十和田湖・奥入瀬と中尊寺に立ち寄った(去年ブログにあげたので今回は割愛)。9月7日朝便で仙台に飛び、レンタカーを借りて盛岡に向かった。


盛岡城



10時過ぎに仙台を出発、12時過ぎに到着した。まずは盛岡歴史文化館を見学して盛岡城跡公園を訪れた。





(三の丸から見た二の丸の石垣)




盛岡城は初代藩主(南部家26代当主)南部信直が慶長2年(1957年)に鋤初め、翌慶長3年に秀吉から築城普請の許可を得て築城工事が始まった。






(櫻山神社横の烏帽子岩)




盛岡城は築城開始から貞享年間まで三期亘って工事進められた。一期は不来方と呼ばれいた時代にこの辺りを治めていた福士の館を埋め、平坦地を拡張して築かれた。本丸、二の丸の一部に石垣が築かれ、瓦葺の櫓や門が築かれたが、中腹の淡路丸や二の丸西側や三の丸は土手のままで周囲には木柵が廻っていた。





(二の丸と本丸を結ぶ渡雲橋)




二期は元和年間とされ、三の丸と淡路丸に石垣が築かれ、本丸の石垣も積み直され双鶴の瓦が葺かれた。しかしまもなく落雷によって本丸の建物は焼失してしまった。




(本丸天守跡)



三期は貞享年間とされ、焼失した本丸の再建が始まり、これに伴い、二の丸西側も北上川の川筋が切り替えられ、貞享3年(1686年)にかけて高い石垣が築かれた。この時期の三階櫓などには赤い瓦は葺かれた。花崗岩を利用した見事な石垣は会津若松城、小峰城とともに東北の石垣造りの三名城とされる。

青森名城めぐり12018年09月17日 13:54




青森名城めぐり


盛岡城から東北・八戸道を経て八戸の根城へと向かった。盛岡までは仕事で走ったことがあるがそれ以北の高速は初めてき来た。去年のツアーも盛岡までだった。久慈へ仕事で訪れた際は東北新幹線で盛岡(当時盛岡終点)まで来て、在来線に乗り換えて八戸へ、八戸からレンタカーで久慈まで行った記憶がある。途中、SAで遅めの昼食(盛岡ラーメン)取って15時半頃八戸に着いた。


根城



根城についてはまったく不知で百名城ガイドブックで初めて知った程度だった。中世(南北朝時代から戦国末期)の城とは思いもよらなかった。





(根城東門)


根城は建武元年(1334年)に南部師行が甲斐の国から陸奥にやってきて築城した。根城は寛永4年(1627年)に22代八戸直秀が遠野に移封され廃城になるまで約300年続いた歴史がある。





(根城本丸)



根城は本丸他七つの曲輪(中館・東善寺館・岡前館・沢里館・捨て廓など)からなる平城で21万平方メートルの城跡である。





(本丸主殿)



本丸には主殿の他奥御殿・常御殿・馬屋・鍛冶工房・番所などが復元されいる。





(主殿の広間)


主殿内部には広間があり、来賓の接待や儀式や行事などに使用された。その奥には祈祷の間などがある。板倉や工房など当時(安土桃山時代)の生活を伺い知ることが出来た。根城をあとにして今夜の宿の十和田市へと向かった。

青森名城めぐり22018年09月23日 12:34



翌日(9月8日)、8時に出発して十和田湖・奥入瀬渓流へと向かった。学生時代(約42年前)に友人と青森からバスに乗って焼山で降りて十和田湖畔まで3里半を歩いたことがあり、去年も奥方と奥入瀬の一部を散策した。今回の奥入瀬は水量も多く豪快な水流を楽しめた。十和田湖畔と遊覧船を楽しんで弘前へと向かった。


弘前城


十和田湖畔を約半周して弘前に向けて走り1時間半ほどで弘前に到着した。





(弘前城天守)



平成27年に石垣修復のため天守を移動するニュースがよく報道されいたがテレビで見ているよりは小ぶりで移動は可能と思えた。




(天守台付近の石垣修復現場)



弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽為信によって慶長8年(1603年)に計画され、二代藩主信枚が慶長15年に着手し、翌慶長16年に完成した。築城時は五層の天守だったが寛永4年(1627年)に落雷により焼失した。文化7年に九代藩主寧親が辰巳櫓を改築して天守の代用とした。江戸時代に再建された天守としては東北地方に現存する唯一のとされる。





(鉄骨で補強された天守内部)



弘前城は本丸を二の丸以下の曲輪が囲むように縄張りされた輪郭式の城で本丸だけが石垣造りでその他の曲輪は土塁でつくられている。北門・南内門・東内門・追手門・東門の五つの城門と丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓の三つの隅櫓が現存している。





(東門)



築城以降廃藩に至るまでの260年間津軽氏の居城として藩政の中心地となった。弘前城を見終えて近くのねぶた村でりんごを買い求め食事をしようとしたが行列ができていたため諦めて秋田に向けて出発した。


秋田名城めぐり2018年09月23日 14:06



最終日(9月9日)秋田のホテルを8時に出発、市内のファーストフード転で朝食後、久保田城へ向かった。本日は帰路に中尊寺に寄って仙台空港に戻る予定のため9時の開門を目指した。


久保田城



以前仕事出来た際に駅前のホテルに泊まったが大手門前の水堀を歩いた記憶があるが佐竹史料館までは思いの他距離があり意外だった。





(表門に向かう入口)




久保田城は慶長8年(1603年)に佐竹義宣が築城を開始した。関ヶ原の戦い後、家康に睨まれて常陸水戸から出羽秋田に転封させられた54万石の大大名であった。家康に遠慮したせいか天守を持たず本丸の南西隅に書院風ニ階建ての御出書院で代用したとされる。




(表門)



一見するとつつましい城とされる。高い石垣はなく、土塁と水堀と枡形の出入り口を守り固めている。しかし、広く深い水堀を三重にめぐらし、土塁を高くした縄張りのこの城には土の城を得意とする義宣の自負が込められているとされる。





(御隅櫓)

本丸北西側に市制100周年を記念して建てられた鉄筋コンクリート造りの三重四階櫓がある。本来は二重の物見櫓だったとか。今回の登城で94城となった。あとは11月に中国地方の六城で100名城制覇となる予定。中尊寺経由で帰路についた。

ガンバアウェーで初勝利2018年09月23日 17:42

ガンバアウェーで今期初勝利





9月15日(土)19時キックオフ
ヴィッセル神戸 VS ガンバ大阪戦


今期初めてアウェーゲームを観戦した。もちろん今話題のイニエスタを見たいこともあり二年振りにノエスタを訪れた。ノエスタとの相性はここ何戦か負けはない。





それにしても観客が多くいつもなら前の方で観戦していたが今回は中段より上での観戦となった。怪我で先発が微妙だったイニエスタも先発で出場してくれた。





神戸のサポーターもかなり盛り上がっていた。神戸の人文字は肉眼では見憎かったがカメラでは綺麗に写った。試合は神戸の古橋の先制弾で神戸がリード。前半を1-0で終えた。後半ガンバは3バックから4バックにシステム変更しリズムが生まれてきた。ジェソクの高速クロスを倉田が合わして同点。その後倉田ゴールライン近くまで切り込みクロスを入れ、ウィジョが合わせて逆転。ゲームはそのまま終了。アウェー初勝利となった。イニエスタはボールの持ち方がうまく、相手が触れない位置でどこにでもパスを出せる状態でキープしていた。視野も広く、やさしいが鋭いパスを配給していた。受け手がいればキラーパスのオンパレードだったと思うがポドルスキーはおらず、周囲との連携が取れれば恐ろしい破壊力を生み出すだろう。流石に世界の一級品だった。とはいえガンバの勝利で気分良く帰れた。しばらくは残留争いが続くだろうが抜け出せうな雰囲気になってきた。